毛沢東は日本に感謝していた

毛沢東は皇軍に感謝していた 未分類
毛沢東は皇軍の進攻に感謝していた
  • 「日本軍の進攻に感謝する」、こう語ったのは、チャイナ共産党「建国の父」毛沢東だ。

    毛沢東の講演速記録、会談録等を編集した「毛沢東思想万歳」(下)によると、
    1956年、毛沢東は、訪中した遠藤三郎元陸軍中将に対し、「あなた方に感謝する。日本の進攻が中国国民に団結することを教えた」と述べ、同年、日中輸出入組合の南郷三郎理事長(当時)と会見した際にも同様の話をしている。

    1961年、毛沢東は日本社会党の黒田寿男氏らと会見し、「日本軍がかつて中国の大半を占領したために、中国国民は学ぶことができた。もし進攻がなければわれわれはいまだへき地にあり、北京で京劇を見ることもなかっただろう。進攻に対抗するためにわれわれは抗日拠点を作り、それがその後の解放戦争の勝利に有利な条件を整えた。日本の資本や軍閥はわれわれにとっていいことをしてくれた。感謝しろと言われれば私は進攻に感謝しても良い」と発言している。

    1964年、社会党の佐々木更三委員長の謝罪に対し、毛沢東は「何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。 皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。」 と発言している。

  • 前述の「日本の進攻が中国国民に団結することを教えた」での「団結」とは、国共合作のことを指している。この「団結」という言葉を、連帯する仲間の”団結”を意味していると捉えている人が多いようだが、違う。分裂とは国民党と共産党の内戦を指し、”中国国民の団結”とは第二次国共合作を指している。

    国民党軍は、共産党を徹底的に追い詰め、壊滅寸前まで追い込んだ。ところが西安事件が起こり、第二次国共合作となった。国共合作の背景には、ルーズベルトとスターリンがいた。当時、ルーズベルトやスターリンは蒋介石の国民党軍を使って、日本を戦争の泥沼に引きずり込もうとしており、国民党軍の矛先を日本軍に向けさせた。これら大国の支援を受けた国民党軍は、日本軍を急襲し、第二次上海事変を引き起こした。日本は、戦争を避けるためにそれまで再三の挑発に乗らなかった。その日本軍を、無理矢理、戦争に引きずり込んだのが、国民党軍の第二次上海事変だ。
    この時、なぜ、国民党軍だったのか?この頃、共産党軍は取るに足らない勢力でしかなかったから、国際勢力に相手にされなかったのだ。しかし、これにより、国民党軍の陰に隠れて、共産党軍は息を吹き返すことができたのである。チャイナ共産党が自画自賛している「抗日拠点」なるものは、日本軍と正面切って戦う事はなかった。

  • 毛沢東は、彼の発言を見る限り、日本軍を侵略軍とは捉えていない。
    彼は「進攻」といっており、これは外交的な修辞ではなく、リアルな彼の本心である。
    彼は、日本軍が進攻せざるを得なかったのは、国民党軍が日本軍を攻撃したからであること。日本軍には支那(本来の支那の領土)への侵略の意図は全くなかったし、それまで度々挑発を受けていたにも関わらずこれに反撃せず、戦争を避けようとしていたことをよく承知していた。
    彼はまた、ルーズベルトやスターリンが国民党軍を動かしていることをよく知っていた。

    したがって、前述の「もし(皇軍の)進攻がなければ、われわれは、いまだへき地にあり、北京で京劇を見ることもなかっただろう」であり(共産党をへき地の延安に追い込んだのは国民党軍)、
    「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか」となるのだ。

    つまり、毛沢東は、チャイナ侵略の意図を持っていたソ連や米国と戦ったのは日本軍であり、米国傀儡の強力な国民党軍と戦ってくれたのも日本軍である。そして、彼ら外国勢力から、チャイナ及びチャイナ共産党を守ってくれたと、日本軍に感謝していたのである。

    ちなみに、満洲は女真族の国であり、本来のチャイナではない。女真族が漢民族を支配したからと言って、逆に漢民族が女真族の国を侵略して良いわけではない。また、満洲における日本軍がソ連に対抗する軍事勢力であることについては、当時、国際的な合意ができていた。かのリットン調査団も、満洲の返還を要求しているわけではない。

  • 日中戦争の時期、毛沢東は「国共合作」で得た国民党の情報を日本に売り、巨額の情報提供料を得ていた。「毛沢東 日本軍と共謀した男」(遠藤誉著)

    この日本軍への情報提供に対し、「建国の父が自ら、人民を売っていた」という人がいるが、それは違う。チャイナ共産党にとって、革命を起こすのも、一般の人民のためというより、言ってみれば共産党員のためである。しかも、孫子の兵法のチャイナでは、欺し合いは日常茶飯事の出来事に過ぎない。日本軍が国民党軍を潰してくれたら、共産党が天下を取れるではないか。共産党が国民党軍の情報を日本軍に流すのは、戦術的に正しい。恐らく、毛沢東は欧米・ソ連と戦う日本軍が、結局は戦争に敗れると予想していたであろう。漁夫の利を得るのはチャイナ共産党である。

    ところで、国民党の蒋介石側も、同様の事をしていた。
    共産党軍の情報を日本軍に流し、巨額の情報料を取得していたのだ。また、蒋介石は同時に、宋 美齢の姉妹などを使い、根も葉もない日本軍の悪行をでっち上げて非道を訴え、それをルーズベルト達が日米開戦のために利用した。蒋介石は、米国などから想像を絶する、巨額の寄付や援助を受け、それを着服して巨万の富を築いてもいた。空軍などの米軍の直接支援を受けていながら、日本軍に負け続けた国民党軍だが、戦争資金や軍備には不自由しなかったのである。「金融経済の裏側」(小名木善行著)
    易姓革命のチャイナでは、おおやけの人民のことなど考える習慣は無い。まずは自分たち(姓)の徳や富を増すことが理に適っていると考えているのがチャイナだ。おおやけのことをまず考えるのは、日本だけである。(易姓革命とチャイナ共産党

  • 毛沢東の死後、江沢民のチャイナ共産党は反日路線に転じ、自国内での反日教育を始める。
    「共産党は抗日戦争を戦ったチャイナ独立の英雄であり、山に隠れていた国民党軍は役に立たない腰抜けだった」というのが、チャイナ共産党が学校でたたき込んでいる歴史観である。
    日中国交正常化に際し、田中角栄首相が謝罪発言をして、日本の戦争責任をGHQ史観のままに歪曲して認めたことが、チャイナが日本を悪役に仕立てる切っ掛けを与えた。これ以降、チャイナが反日に転じ、反日を国是にするまで変貌してしまった原因になった。田中角栄首相は、国際的には日本が評価されていることを知らなかったのだろう。田中角栄首相の発言までは、日本はチャイナ共産党から感謝される存在だった)

    チャイナが利用しているのが「南京事件」である。南京事件は、もともと、国際的な原爆への非難から逃れるために、米国が戦後用意したでっち上げのプロパガンダであったが、それを、チャイナ共産党も悪用した。

    毛沢東の遺訓を忘れ、なぜチャイナ共産党は反日に転じたのか。

    チャイナ共産党がウソとわかっていながら、南京事件を使って日本を非難するのは、チャイナ国内の不満、例えば、大躍進政策の失敗・数千万人の餓死者の発生、文革による天文学的な数字の犠牲者の発生と政策失敗による貧困、天安門事件(1989年)などの虐殺事件に対する国民の不満が、チャイナ共産党に向かうのを反らすためである。
    彼らチャイナ国民の怒りを日本に向けさせるためには、日本人にチャイナ国民を殺させる必要があったので、嘘の南京事件をプロパガンダとして利用したのである。

    「南京事件」が世界遺産に登録されたのが2015年。チャイナ共産党は、今だに過激な反日教育を続けているし、日本を利用して、民衆の憎しみを反らす政策を続けている。

  • ちなみに毛沢東は、「日本軍の侵略」という言い方は、決してしていない。「進攻」と言っているのだが、日本人の側が贖罪意識から、毛沢東の使う「進攻」という表現を、「侵攻」「侵略」と言い換えている例が多々ある。「毛沢東」(遠藤誉著)によると、徹底したリアリストだった毛沢東は、彼に会いに来る日本人がみな左翼で、誰もが判で押したように「謝罪」ばかり口にすることにうんざりしていた。

    昨今の日本の情けない知識人・ジャーナリストに比較し、戦前の日本人の方がよほどしっかりしていて、欧米の侵略に対して毅然として戦い、アジアの同胞を守り、人間としても大きく、りっぱだったと思うのは、私だけであろうか。

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    日米戦争は、ルーズベルトと日本の共産主義者が引き起こした

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