- 西洋史と東洋史
小名木善幸さんのゼロから一気にわかる超軍事国家モンゴル帝国の冒頭近くで、西洋史と東洋史の成り立ちの話が出てくる。西洋史はヒストリー(ヒズストーリー)の系譜。ペルシャに対抗してギリシャの都市国家・ポリスをまとめ上げて戦った英雄がいて、そんな英雄が現れたからギリシャ世界は生き残れたのだが、そのことを説き明かしたのがヒストリーであり、以来、英雄を物語ることが西洋史の基本パターンとなっている。
これに対し、チャイナの歴史を扱う東洋史は、天命に従って支配者が変わる易姓革命の物語である。徳が失われることにより天下が乱れ、そこに徳を持った別の人物が現れて支配者となる、という「易姓革命」史観の元に書かれているのが、チャイナの歴史である。そして、王朝交代のたびに苛烈な民族戦争が繰り返されてきた。 - 日本はどうか。
日本書紀を見ればわかるとおり、神々が産み出した島々に、やがて太陽神・天照大神が登場し、地上に豊かさをもたらし、国土を守るという神話から始まり、このアマテラスの御霊・精神をその子々孫々が体得し、地上に豊かさをもたらすことを約束して皇位を継承していくという、神話と歴史が渾然一体となったものが日本の歴史観である。
ちなみに、アマテラスの血筋を守るために、男子が皇位継承の条件となっている。同時に、后や妃、女房となられる女性は、ある程度の条件はあるが、広く国内から求められている。ヤマトの国に入られた神武天皇も、出身地の宮崎ではなく、ヤマトの女性を后とされている。このように、日本の統治の原点は、武力だけではなく、血縁ネットワークによる統治という側面がある。 - 神武天皇は、高天原から宮崎に降臨されたスメラミコトの子孫で、ヤマトの地に東征された後、国の統一と都(御屋庫・ミヤコ)の設置を宣言されて、その地位におつきになった。正確に言うと、ニギハヤヒのミコトからその地位を譲られるという経過をたどって、その地位におつきになっている。神武天皇は、即位のために「ミコトノリ」を発せられたが、その中で、食料を備蓄する倉を建設して、民を守ることを宣言されているところが、スメラミコトの性格を今に伝えていると思う。
弥生時代には農業生産が拡大しており、人口が大いに増えていた。その結果、気候変動に見舞われて不作となると、自然の食物だけでは不足して、飢饉が訪れる。それを防ぐには、食料備蓄を行う行政府が必要となる。それが都(宮庫)である。このあたりは、モーゼの神話に出てくるファラオの7年の話に似ていると感じるところでもある。
そもそも、民族の歴史を世界の始まりから一貫して述べている点で、日本書紀は聖書と似ている。ここが、先に挙げた西洋史・ヒストリーや東洋史・「易姓革命」の世界観と決定的に違う点である。日本人はユダヤ人とこの点で似ている。ただ、日本書紀に現れる日本人が、聖書と違う点は、神武東征では征服した?民を排斥していないことだろう。スメラミコトは、国を強権で支配するというよりも、民の豊かさをもたらす人格として人々から尊敬されていた節がある。 - 日本神話でのイザナギ・イザナミによる国産みの話は、更新世末期の海進の影響をうかがわせる話だと思う。この時代には既に、日本列島に人が多数住んでいたので、神話に海進の記憶が残っていてもおかしくない。
大陸とは海を隔てるという、この地理的な孤立性が、周辺の半島や大陸の民族と遺伝子的にかなり異なる民族を形成することになった理由だろう。と同時に、海は日本人にとって異民族を防ぐ鉄壁の長城となったのだから、日本はイザナギ・イザナミによって守られた国として、奇しくも、誕生していたことになる。
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