私はピノキオのように、本当の人間の子供になれただろうか?

子供がまだ小さかった頃、「ピノキオ」の絵本を原作に近い訳本で読んであげたことがあります。
残念ながらアマゾンには本の写真が載っていませんが、原作に忠実なストーリー、重厚な挿絵と表装、おすすめの絵本です。

子供がピノキオなら、私はさしずめゼペット爺さんになります。親の立場で読んでみると、「ピノキオ」はまた、違った味わいのある絵本です。

絵本の中のゼペット爺さんは、いなくなったピノキオを捜し歩き、そして病に倒れますが、最後にはピノキオに命を助けられます。そんなゼペット爺さんは、とても嬉しかったろうなと思います。それに幸せな最後だったなと思います。

イタリアでも日本でも、遊びこそ子供の世界です。でも、そのままでは、木彫りの人形?のままであって、本当の人間の子供ではない。
子供は遊び歩くだけではダメなのか?
ピノキオが本当の子供になるためには、その前に、思いもかけない高いハードルがありました。
病んで寝込んだゼペット爺さんのために、ピノキオは働き始めるのです。
しかし、ピノキオが稼ぐといっても、遊び人(子供)だったピノキオにできることなんて、最初は何にもありません。でも、とにかく泣いて働いてお金を得ます。やがて、物を作って売ったりもします。
そうやって働いて金貨を稼ぎ、やっとやっとゼペット爺さんを何とか救えたことに免じて、ある日、ピノキオは晴れて女神様に人間の子供にしてもらえます。
めでたし、めでたし!
ハッピーエンドで、ピノキオの童話は終わります。

私は、ピノキオのように、本当の子供になれたのだろうか?

大学も4回生になり進路に迷った私ですが、ジャーナリストはどうかなどと、ただただ考え込んで「今頃何を言い出すんだ」と友達にあきれられながら、そうこうするうちに、4年の後期も押し詰まり、「イカン、とりあえず就職してから考えよう」と、約60単位を無理やり一夜漬けでとって、卒業。関西に本社のある会社に就職しました。それからも、自分のことだけで、精一杯だったような気がします。故郷の九州の両親はもう亡くなっています。遠い空の下で、こんな不肖の私を、許してくれていたのだろうか?私は生きていく上で、本当に大事なことを知らずに、それに触れることもなく、これまでやってきたような気がします。

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