- 何故、日米戦争が勃発したのか?
日本が東アジアで権益を広げ、台頭したことが日米戦争を引き起こしたのか?日本はファシズム国家で軍部が暴走したのか?
これまではそう言われてきた。しかし、それは本当の歴史を隠すためのウソに過ぎない。驚いたことに、当時の資料を確認すると、軍部が暴走したことも、ファシズム国家であったことも、また、日本が米国と覇権を争おうとしたという事実もないのだ。
確かに、欧米には黄禍論があったし、米国はハワイ併合の後、フィリピンを占領して魔手をアジアに伸ばしていた。またチャイナに関して、米国は「門戸開放通牒」を発して列強を牽制しながら、進出の機会をうかがっていた。
しかし、このことが日米開戦の本当の理由ではない。
本当の理由は二つある。 - 一つは、ある目的のために、ルーズベルトは開戦したかったこと。
当時の米国は、大不況とそれに続くデフレの中で経済的に苦しんでおり、ルーズベルトのニューディール政策の失敗も明らかになりつつあった。その中にあって、ルーズベルトや資本家達は米国経済を復活させるための戦争を必要としていた。また、ヨーロッパでの戦争に米国が参戦すれば、ドイツに勝つことができるので、劣勢にあった英国は米国の参戦を渇望していた。そこでルーズベルト達は、全く戦争する気のない米国民を戦争に踏み切らせるために、日本に真珠湾を攻撃させることにしたのだ。
日本の軍部は、これまでの通説とは異なり、英米と戦争をする気は全く無かった。このことは、近年公開された米国の資料などによっても明らかだ。(日米戦争を策謀したのは誰だ:林 千勝)
世論の地ならしのために、国際金融資本家とルーズベルト達は日米双方のマスコミ(ニューヨークタイムスや朝日新聞など)を使って、戦争をあおり立てた。同時にスパイを使い、内部から情報戦を展開した。
ルーズベルト達は日本を侵略者に仕立て上げるため、架空の犠牲者をでっち上げてパンフレットを作成し、米国内にばら撒いている。日本=人権弾圧の侵略者というプロパガンダを、マスコミを使って強力に展開した。このプロパガンダの仕上げには、懲罰と称して、原子爆弾まで落としたのだ。原子爆弾は広島・長崎の一般市民を大量虐殺したが、これは当時の国際法に照らしても、非人道的な違法行為である。米軍はその非を糊塗するために、戦後、原子爆弾の犠牲者の人数に見合う「南京事件」の犠牲者数をでっち上げ、日本軍の暴虐だというウソを作り上げた。
戦後のGHQは、WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)で、これらのプロパガンダをそのまま歴史的な事実として定着させようとした。
このようなスケープゴードに日本が選ばれたのは、日本が、米国に戦争を仕掛けるだけの軍事力を有しており、間違いを起こせる世界で唯一の国であったからだろう。それだけの理由で、日本がターゲットに仕立て上げられ、米国民を騙すために利用されたのだ。これが日米開戦の第一の理由だ。 - もう一つの理由は、ソ連・コミンテルンが、当時、日本を共産化の主たるターゲットとしていたこと。ルーズベルト大統領に接近したスターリンは、米国と日本を戦争させ、日本軍が潰れたところで日本を共産化する作戦を立てていた。
ルーズベルトは隠れ共産主義者であり、その彼を共産主義スパイ達がブレーンとして取り巻き、米国民が知らないところで彼らの謀略(ハルノートなど)を展開した。ルーズベルト達は日本に真珠湾を攻撃させるために、厳しい経済封鎖などあらゆる手段を駆使し、石油や原料の無い日本を、とことん死の淵まで追い詰めていったのだ。
また、ルーズベルトとスターリンは蒋介石の中華民国を手先にすることに決め、軍事援助を行い、日本を攻撃させた。日本を戦争の泥沼に嵌めようと画策したのだ。これらの謀略に退路を断たれ、日本は米国と戦わざるを得なくなった。 - 戦後、日本は太平洋戦争を始めたという罪を被せられたが、事実は逆であった。戦争をしたかったのはルーズベルトやスターリンであり、あるいは国際金融資本家の手先として暗躍した尾崎秀実(朝日新聞)や風見章などの、日本国内の共産主義者達であった。人々を太平洋戦争の悲劇に陥れたのは、実にこれらの共産主義者達であり、開戦の責任を負うべきは、本当は彼らなのだ。(日米戦争を策謀したのは誰だ:林 千勝)
- この戦争を利用して日本を崩壊させようと画策したスターリンは、最後には日ソ相互不可侵条約を破り、日本に対する軍事行動を起こした。また、国際法を無視して、戦後に多量の日本軍人をシベリアに長期間抑留して殺害したのだ。また、女真族の国・満洲を蹂躙し、多数の民衆を殺害した。まさに悪辣な人権無視の殺人集団の顔を持つのが、共産主義者達なのだ。米国とソ連は、日本侵略戦争を引き起こした、これが歴史の真実である。
- 先の大戦で、日本が戦ったのは欧米の軍隊だった。当時のアジアには独立国はほぼ無く、植民地しかなかったからだ。そして、当時の日本軍は、欧米の植民地主義と戦っていることを自覚していた。それを忘れてしまったのは、戦後のことだ。いや、戦後、先人の思いを教えられることがなかったために忘れられた、というのが正しいのかも知れない。
第1回バンドン会議(アジア・アフリカ会議)の思い出
「(各国代表からは)『日本が、大東亜宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争目的とした、その宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然として、イギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだった。日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある』ということだった。我々が今日こうやって独立しました、といって『アジア・アフリカ民族独立を祝う会』というのがアジア・アフリカ会議の本来の目的だった。こんな会議が開けるのも、日本のお陰ですと、『やぁー、こっちへ来て下さい』、『いやぁ、今度は私のところへ来て下さい』といってね、大変なもて方だった。『やっぱり来てよかったなぁ』とそう思いました」 - 日米開戦の真相、米歴史学者ヒッグス博士の講演(2012年):開戦したいルーズベルトが故意に日本を経済封鎖して、日本が自国を守るために戦わざるを得ないところまで追い込み、真珠湾を攻撃させた。日本の作戦をルーズベルトは知っており、それを実行させるためにハワイを無防備の状態に置き、実際に攻撃されたことを知ると快哉を叫んだ。彼らの目的は、戦争反対の米国民に戦争を始めさせることだった。そのことを知る米国民は少ないし、歴史学者もわざわざ語ろうとしないが、それが歴史の真実だ。正義の戦いでも何でもない。(ロバート・ヒックス)
- 教科書や文科省、日教組の指導では、あるいは大学やマスコミに巣くう左翼・グローバリストたちは、戦前の日本はファシズム国家であったと言ってきたが、それは事実ではない。いわゆる自虐史観は、米国の対日戦争のためのプロパガンダだったのだ。日本よ、早く目覚めよ!そして、再び立ち上がって欲しい、という海外の声は多い。
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