- 戦前の日本は、歴史ある民主主義の国だった
学校の教科書では、あるいは日教組や文科省の指導では、戦前の日本は軍国主義(ファシズム)で領土拡大の野望のために戦争を起こしたと教えられてきたが、それはウソだった。このような、いわゆる自虐史観は、米国が日本と開戦するために作り上げたプロパガンダである。
大学やマスコミに巣くう左翼・グローバリストたちは今も自虐史観を信奉しているが、戦前の日本はファシズム国家どころか、歴史ある民主主義の国だった。また、戦争を始めたかったのはルーズベルトやスターリンであり、日本は米国と戦争する気は全くなかったというのが、歴史的事実である。(日米戦争を策謀したのは誰だ:林 千勝)
日本は、日清日露の戦争で欧米列強の侵略的な軍事力を跳ね返し、結果、東アジアの政治的・軍事的安定に貢献した。同時に、活発に投資を行って東アジア全体の経済を繁栄させ、欧米諸外国との貿易も急増させていた。それまで欧米列強の植民地政策によって、隷属し疲弊するだけのアジアであったが、日本の登場により、初めて黄色人種が欧米に列するまでに経済発展を遂げることができたのだ。これに対し、欧米では黄禍論が盛んになっていったが、日本は人種差別反対を唱えて対抗した。
アジアを搾取していた欧米列強とそのバックの国際金融資本家達は、自分たちの権益を脅かす日本の台頭に警戒感を持った。日本を敵視する彼らは、当時の日本を、植民地獲得を目論む軍事国家であると非難したが、事実はそうではない。日本は他国に類を見ない共存共栄の価値観を持つ国で、例えば、江戸時代の商人道に「三方良し」があるが、伊勢神道の流れを汲むその価値観は日本文明の基層になっており、そこに支配・搾取の意図はない。「三方良し」が日本の社会規範であって、搾取には無縁なのだ。
欧米は植民地主義によってアジアの弾圧と搾取を行っていたが、それとは全く違う文明を持つ国、それが日本だ。当時の東アジアが、例えば満州国が、日本の援助政策によって、急速に経済発展を遂げていたことでもそれが分かる。 - 日本では共存共栄の精神は当たり前だが、国際金融資本家や共産主義者は違う。結局、彼らのしていることは、自分たちの独占的支配であり、他の隷属を求めているのである。
共産主義者によれば、この世は資本家と労働者からなる階級社会であり、革命こそが人類にとって意義あるものとなる。革命は、言い換えると、資本家をやっつけるということなので、言ってみれば「出る杭は打つ」という考え方である。毛沢東の文化大革命が、まさにそれである。文革では、労働者を搾取していた資本家階級はいなくなったかも知れないが、文化や知識も否定された。文革の実態は、毛沢東の卑劣な権力闘争に過ぎなかったのだが、そのような「出る杭を打つ社会」の何が面白いだろうか?
チャイナは文革の失敗後、「白猫も黒猫もネズミを捕る猫がいい猫だ」と変わる。しかし今度は、カネを持つ者が持たない者を支配して良いのだとなってきた。革命理論には、カネによる支配を否定する側面があったのだが、結局、チャイナはカネの支配に戻ってしまった。
日本の「共存共栄の精神」は、違う。「出る杭はそれぞれに出てくるが、周りから認められて一人前」である。「資本家も労働者も、それぞれの立場で役割を果たして社会に貢献しているのであり、いずれの立場も社会的に平等」であり、カネを持っているから自分のいうとおりにしていい、他人を支配して良いと言うことではない、ということになる。
こちらの方がずっと社会は自由で豊かなものになるだろう。日本人が大好きな「自然」な姿になっているのではないだろうか。 - 実質的に、共産主義はソ連の崩壊と共に滅び去った思想だ。かわって、左翼・グローバリズムが登場したが、日本の左翼は単なるアンチ権威の「革命」遊びをやっているに過ぎない。政治的に目立つ相手を叩いているだけの彼らに創造性はない。文革のように人を殺してはいないが、闇雲に政治権力を叩いている彼らは、社会にとっては「小さな親切、大きな迷惑」に過ぎない。
- 国際金融資本とは、国を超えて巨大化した資本である。国を超えた社会とは国際社会ということだろうが、国際社会では力を持つ者がやりたい放題である。守るべき法はないに等しい。強いて言えば、人類共通の理念である「自由・平等・博愛」が不文律ということになる。従って、国際金融資本がそれを守って社会的な役割を果たしているかどうかが、彼らの存在意義となってくる。果たしてどうだろうか?経済的な利益のために戦争を引き起こしているのならば、人類を織りなす輪の連続の中から、彼らを外すべきだろう。
- 「労働者独裁」をうたうチャイナ共産党員は、彼ら自身は、どこから見ても労働者ではない。チャイナ共産党は強権的に民衆を支配しており、国民は自由でも平等でもない。チャイナの社会には、金や権力を持つものは何をしても良いという不平等と反社会性が見え隠れしている。恐怖政治を行い、自分たちの利益を守るためには、平気で国民を殺すのがチャイナ共産党だ。
対して、日本は違う。共存共栄の国であり、独裁はない。国民は自由であり、平等である。八百万の神々がいる自然信仰の国、それが日本なのだ。天皇も独裁者ではない。この点で、日本が世界の他の国々とは決定的に違うことを世界は知るべきだ。
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